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第七十五話:「江戸の風物詩・七夕、井戸浚い、冷水売り」

2017年6月22日

七夕祭りの由来については、古くから我が国に伝わる棚織津女(たなばたつめ)の話と、
中国に伝わる牽牛(けんぎゅう)星と織女星の伝説に基づいたものと言われて来ましたが、
そもそもの源流は古代エジプトにまで遡り、定住農耕が生み出した神話に行き着くのだそうです。
何しろ、イタリアでは7月7日に男女が石を投げ合って求婚する行事があり、
中国では女の子の技芸上達の願い事をしたことが、奈良時代、宮廷へ伝わって
機織り(はたおり)姫の行事となり、江戸時代の大奥では、笹の葉に短冊をぶら下げ、
願い事をするという形式が現在にも一般的な祭り方となったようです。

うれしさや七夕竹の中を行く  正岡子規
七夕の女竹を伐るや裏の藪  夏目漱石

水道の有る先進都市だった江戸には、7月7日、井戸浚い(さらい)(井戸替え、
晒(さらし)井(い))と言うもう一つ重要な行事がありました。
神田上水(主水源は井ノ頭池)は1629年ごろ完成し江戸市中へ給水をしていたが
街の急発展・人口増で飲料水は不足し、さらに1654年玉川上水(水源は多摩川)を造成させました。
水道と雖も、地下に張り巡らされた管は、木や竹をつなげたもので、ところどころ水を溜める
大きな桶が設置されていましたので、これを「上水井戸」と呼び、年に一度は住民皆で井戸の蓋を外し、
滑車を用いて水をくみ出し、井戸職人が桶に入り、落ち葉などを拾ったり洗ったりする
必要性があったのです。水源から管で繋がっている大きな桶(井戸)ですから、
江戸中一斉に清掃しなければならなかった訳で、暑い夏に、清潔で冷たく美味い水を飲むためにも、
皆が一致協力するのは当然の務めでした。なお、井戸浚えが、なぜこの日だったかという事由は、
七夕本来が、数日後にやってくる盂蘭盆会(うらぼんえ)に向けての払いの儀式だったことと、
大切な飲料水を清める儀式を重ねた意義を持たせた行事だったのです。

井戸替のをわりし井戸を覗きけり  日野草城
晒井にたかき樗の落花かな  飯田蛇笏

神田上水と玉川上水が出来ても、江戸全域をカバーすることは出来ませんでした。
下町方面は、海を埋め立てた場所が多く、井戸掘り技術が十分でなかった時代、
少々の井戸を掘っても塩気があってとても飲料水にはならず、そこに登場するのが、
物売りの一形態である「冷や水売り」で、上水の余り水(冷たい水)を日本橋あたりで安く仕入れ、
水桶に詰めて、天秤棒で担いで「ひやっこい、ひやっこい」の売り声を掛けながら、
一杯四文(現在相場で30円ほど)で売って歩きました。追加料金を払えば、
砂糖や白玉を入れてくれたそうですから、今なら自販機のボトルウォーターかジュースを
買って飲む感覚だったのでしょうか。

月かげや夜も水売る日本橋  小林一茶

暑い盛りの江戸の大通りの庶民の姿は、当時の絵図を見ても歩行者天国のようなノリで、
街全体が活気にあふれ、路上は冷水売りの他にも、金魚売り、西瓜売り、心太(ところてん)屋などで
賑わっていました。

最終更新日 2021年10月31日

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