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「白洲次郎と英会話」:日本人の国語は英語ではない

2015年1月30日

2009年9月にNHKテレビドラマの白洲次郎物語が3回にわたり放映された。
数々の賞を得た番組だったが、実際にはフィクションなのか
ノンフィクションなのか、白洲次郎さんを評価しているのか、していないのか正体不明。
2000年代後半になり白洲さんは
「進駐軍(太平洋戦争後の連合国占領軍)と堂々と渡り合った男」としてマスコミをにぎわし、
国民的人気を得たが、NHKテレビドラマには明治男の人間像が歪められている部分が
いくつかあり、気になった。
特に引っかかったのは英語で怒鳴りあいながら恋を語るシーン。
本当だろうか? どのような意図でシナリオが書かれたのか?
良く考えれば、「語学が達者」と表現したかった。
悪く考えれば「日本人の気骨」と、「舶来崇拝(かぶれ)」の2面性を強調したかった。
良く見ているのか、悪く見ているのか。
ライターの真意がわからない。
総じて気張りすぎのオーバーな表現が多い演技。
シナリオ・ライターも、俳優も白洲次郎の世界が理解できていなかったのかもしれない。
「華麗なる一族」の演出にも不自然なシーンが多かったが、真の上流階級は
もっともっとカジュアル。
振る舞いは一般人と変わらない。
 
樺山正子さん(白洲次郎氏夫人)も白洲次郎さんも海外生活はそれほど長くない。
白洲さんは事情があり、留学途中で帰国している。
同じころの仲間に較べれば留学期間はかなり短い。
英語で話さなければならぬほど日本語が不自由であるはずも無いし、
最近の帰国子女ほどの英語力でもない。
当時は珍しかったが、大戦前にも小学校から大学卒業まで英米で過ごした人達がいる。
それでも国語習得に努力しているから日本語に不自由はしない。
子供に知られたくない会話を夫婦が英語で話すことはあるかもしれないが、
第三者のいないところで英会話が主体とはなんともキザ。
照れがあったにせよ、明治男の気骨ある男子は英語で恋は語らない。
ストーリーが真実ならばイメージが大きく損なわれる。
 
大戦後20年間くらいまで、サラリーマンや公務員は、英語だけが得意な連中を
「英語屋」「アメリカかぶれ」と軽蔑、出世もままならなかったという。
そのような民族性から見れば「日本人の気骨」「日本人の誇り」の代表的人物が
こんな気障(キザ)とは考え難い。
フィクションで無いならば、ライターか、家族の勘違いと考えたい。
今でも在外邦人は知識人ならば、子供のバイリンガル教育に腐心する。
大変な気力と忍耐が必要だそうだ。
それでも自国語の読み書きは大事な固有文化。
民族の存続には固有文化が必須。
侵略に耐えた民族は大きな文化を持っている。
 
しらす・さぶろう

初版:2009年9月:日本人がんばれ第五十九話
復刻:2015年1月

 

toddler's walking on the seashore with adult

最終更新日 2021年8月6日

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