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女性が創り、女性が支えた草創期のワイナリー: 湘南に紹介されたフランス文化

2015年8月28日

湘南地方にフランス食文化を紹介したフランス帰りの戸田康子さん
湘南を人生の拠点として選んだ康子さんは日本のワインビジネス先駆者のひとり。
フランス食文化の要(かなめ)のワインも食習慣が無い太平洋戦後の日本には
商品がほとんどありませんでした。
それなら自分で作ろうと湘南地方で適地を探した康子さん。
やっと見つけたのは湘南からはやや遠い現在の相模原市でした。

 

*2004年初版のインプットミスをそのまま引用しているサイトが多いですが
改訂版のデータが正解です。
写真は著作権で保護されています。

 

ゲイマーワイン(Gueymard wine K.K)のブドウ園

 

ワイン文化が根付かない日本にあって、ゲイマー・ワイナリーは第二次大戦後、
50年余りにわたり、フランス・ワイン文化の紹介と普及に努力した
日本のワイン史に残るワイナリー。

 

1. ゲイマーワイン(株)のワイナリー

1952年(昭和27年)にゲイマーワイン(株)(Gueymard wines K.K)は
現在の神奈川県相模原市大野台4丁目1-1の地に創業しました。
相模原ゴルフクラブに隣接した16,000坪のゲイマーブドウ園は、神奈川県唯一の
本格的ワイナリー。
緑の少なくなった同地域では、ゴルフクラブとともに広大な緑地帯を構成。
果樹園や、桑畑が広がっていた、この地域には、大戦前から食用のぶどう園があったようです。
縁があって、28,000坪余りの土地を買収したのは、フランスで洋裁を学び、
帰国していた戸田康子女史。
洋装技術を生かした仕事で成功していた女史も、戦後の混乱で洋裁どころでなかったことが
動機だったのかもしれません。
フランス人の夫、マルセル・ゲイマール(Marcel Gueymard)氏の実家が
プロヴァンス(ラングドック?)のワイナリーであったこと。
実妹の嫁ぎ先が岡山の造り酒屋であったことが影響していたのでしょう。
康子女史は、当初から食用ブドウには関心がなく、留学していたフランスで親しんできた
ワイン造りに挑戦します。
康子女史の計画に賛同した夫のマルセルは、実家からブドウの
苗木を大量(約80種類以上)に輸入しました。
大戦中に、実家のブドウ畑に臨時の飛行場が作られ、廃業に近い状態となっていたことで、
苗木の調達は容易であったといわれています。

マルセル・ゲイマールさん

ゲイマール康子夫人(肖像画)

 

2. ゲイマール康子(戸田康子)さんの心は湘南人

岡山県出身。1990年ごろ、90歳で逝去。農業等を中心の旧家出身。
康子女史が渡航するときは、父親が所有するマツタケ山の一部を売却して
資金を作ったそうです
岡山近辺の家系では、信濃松本より赴任した明石藩の松平(戸田)康直が著名ですが、
康子女史と関係はないそうです。
昭和の初め頃は、洋裁の先端技術をヨーロッパで学ぶことが、
先進的な女性の憧れだったのでしょう。
松井慶四郎外相令嬢の田中千代さんが渡航して洋裁を学び、帰国後、
田中千代学園を開いた頃です。
オーナーのゲイマール夫妻が健在な60年代には、フランス大使などを招待して
秋の収穫祭(ヴァンダンジュ:Fete des vendanges)を開催。
ポスターには「日仏親善」と大書。
近在の住人の誰でも無料で招待するなど、欧米的な行き届いた配慮で
相模原のシンボリックな存在となっていました。
美味しいワインを毎日飲みたい一心。夢を追い、利益の追求より夢の実現。
体験してきたフランス食文化の紹介を通じて、愛する両国の親善に貢献。
おおらかな思考、心の豊かさを大事にする思想は、
まさに湘南人と呼ぶにふさわしい方でした。

 

ワイナリーを支えた水澤澄江さん

3. ワイン造りの技術を支えた水澤澄江さん

経営者となった戸田康子女史は当初から女性中心のワイン作りを考えていたようです。
ワイン造りの技術を支えたのは40年以上も勤務した水澤澄江さん。
新潟で育ち、山ぶどうのジュースやワイン作りに関心のあった澄江さんは、
フランス式のワイン造りをしているゲイマールさんのうわさを聞いて、訪ねてきました。
ミイラ取りになった澄江さんは結局ここに居つき、70年代には国税庁醸造試験所の
講習修了免状を取ってワイン造りの中心となります。
遅れて参加したもう一人の女性(自称)光江さんとともに、施肥、防虫、除虫、除草、
剪定、刈り取り、選別、醸造、ボトリング、ラベリング、酒税事務、接客など、全ての仕事を、
農繁期以外は外注することなく、二人でこなしてきました。

 

地下に造られたワイン貯蔵庫.貯蔵庫内の入口にはマルセル・ゲイマール氏の名前.

 

4. ゲイマー・ワイナリーが製造したワイン

ゲイマー・ワイナリーには赤、白、デザートワインの3種類のワインとブランデーが
1種類ありました。
多数のブドウをブレンドしてありますから種類の表示も、ヴィンテージもありません。
ワインが1,200円/720ml 、ブランデーが2,500円 /720ml。
主力の赤白ワインの名前は「金の樽」(Muidor)ですが、これはゲイマール氏の
実家のワイン名に因んでいます。
デザートワインのカルタジェーヌ(Cartagène vin de liqueur) は 南仏の地中海に面した
ラングドック・ルシオン(Languedoc Roussillon)地方独特のリキュール.
ブドウ・スピリッツをブドウジュースに混入し発酵させない製法。
ブドウの糖分が残りますから甘いアペリティフやデザートに適したリキュールとなります。
カルタジェーヌ(Cartagène)はワイナリーの自家用が多いために市場に出回る量はわずかです。

 

5. 温暖化と新興の輸入ワインに苦戦したワイナリー経営

戦後になっても、永らく日本のワイン嗜好はぶどうジュースの延長線から脱することが
出来ませんでしたから、本物のワインは(ゲイマール夫妻や)一部の愛好家以外には
需要がありません。
未熟なマーケットに合わせた甘味の強いワインや、テーブルワインを造らざるを
得ない時期が続きます。
樽もコストダウンを図るために中古の醸造ダルを集めましたから、
琺瑯、ステンレス、プラスティック等と、ばらついています。
それでも当初は、年間3-40,000リットルと小規模ながら、採算はとれていたようです。
1960年代になり、海外渡航が自由化。
1980年ごろには、本物のワインを愛好する層が育ってきましたが、このころには
相模原も温暖化が進み、ワイン栽培には不向きとなっていました。
アメリカやチリからの廉価で上質なワインが年々市場を拡大します。
ゲイマー・ワイナリーの多品種のブドウは、フランスより導入したときのまま、変わりません。
すでにゲイマール夫妻は高齢となり、時代に合わせて、新たな資金を投入する意欲も
かけていたからです。
水沢女史は打開策として、棚の作り方を換えたり、品種の改良を試みますが、
10年間も経たずに先代夫婦が相次いで亡くなり、結局、新たなブランドを確立できるような
ワインが育たないうちに、終焉を迎えることとなりました。

 

緑に囲まれたぶどう園一帯も現在は緑のほとんど無いビジネス団地に変貌.

 

 

6. ゲイマーワイン(株)のワイナリー閉鎖

ゲイマーワイン(株)は2004年12月末日で閉園されました。
水沢女史は気候に相模原地域の限界を感じていました。
ブドウ栽培に最も重要な気候の温暖化、多湿化が年々進行することが苦戦の最大原因。
新世界よりの廉価品輸入増大に高級品志向で対応しようとの努力も資金不足。
樹齢が50年を超えるブドウの新陳代謝の意欲も無くなったようです。
廉価品との差別化を図り無添加ワイン製造にも挑戦しましたが
二次発酵などで不良品が続出、限界を悟ったとのこと。
温暖化の進行で増える病害虫。農薬散布で、近隣との摩擦も増えていました。
そんな渦中に創業者夫婦の相次ぐ他界。
後継者はマルセル・ゲイマール氏の養子となった、兄弟の子息ゲイマール・イヤベ氏。
カナダ在住でしたが、たびたび訪日して事業継続の努力もされたようです。
廃業頃の販売量は年間10,000リットルほどでした。
 
 初版:2004年10月 ワインよもやま話:第九話:歴史に残るワイナリー
改訂版:2015年8月

生鮮食材研究家 しらす・さぶろう

最終更新日 2021年8月6日

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